日蓮大聖人のご生涯と正法伝持

 1. » ご誕生から宗旨建立

末法の闇を照らす日輪のごとき仏法の出現。日蓮大聖人は、旭日に向かって南無妙法蓮華経の題目を唱え、宗旨を建立されました。

 2. » 鎌倉弘教

法華経による衆生救済(しゅじょうきゅうさい)の実践。宗旨を建立された日蓮大聖人は、当時、政治・経済の中心地であった鎌倉へ向かわれました。そして名越(なごえ)の松葉ヶ谷(まつばがやつ)に小さな草庵(そうあん)を結ばれ、弘教に励まれました。

 3. » 法華経の身読

日蓮大聖人は、北条時頼に『立正安国論』を奏呈されたことにより、他宗の僧侶や信徒、さらには幕府の権力者からさまざまな迫害を受けられました。これは、法華経の勧持品(かんじほん)第十三に説かれる「悪世の中においては、正法の弘教者を悪口雑言し、刀や杖で危害を加える邪智(じゃち)の者が現れる」との経文そのものの相(すがた)です。

 4. » 竜口法難

日蓮大聖人は竜口法難において、それまでのお立場である上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の再誕としての垂迹身(すいじゃくしん)を発(はら)い、久遠元初(くおんがんじょ)の御本仏の本地身(ほんちしん)を顕(あらわ)されました。

 5. » 佐渡配流

日蓮大聖人のご化導(けどう)における佐渡配流の意義は、末法の法華経の行者、すなわち久遠元初の御本仏の立場から真実の法門を説き明かし、御本尊を顕し始められたことにあります。

 6. » 身延入山と門下の育成

日蓮大聖人は、佐渡配流赦免ののち鎌倉に戻り、三度目の国諌をされましたが、聞き入れられなかったため隠棲(いんせい)を決意されました。その後、身延に入山され、多くの御書を著し、弟子信徒の育成に努められました。

 7. » 熱原法難と本門戒壇の大御本尊

日蓮大聖人は、熱原法難(あつわらほうなん)において不惜身命(ふしゃくしんみょう)の信仰を貫いた農民信徒の赤誠(せきせい)を機縁(きえん)として、出世(しゅっせ)の本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊をご図顕されました。

 8. » 血脈相承とご入滅

血脈相承とは、仏法が師匠から弟子へと正しく受け継がれていくことを、親子の血筋の継承に譬(たと)えた仏教語です。日蓮大聖人は、数多(あまた)の弟子の中から日興上人(にっこうしょうにん)ただお一人を後継者と定め、仏法のすべてを付嘱(ふぞく)され、弘安5年(1282年)10月13日、安祥(あんじょう)として入滅されました。

 9. » 第二祖日興上人と大石寺

10. » 第三祖日目上人と広布への願業

『日蓮大聖人のご生涯と正法伝持』より