釈尊の教え「法華経」は三大秘法を顕すため

日蓮正宗総本山「大石寺」

インドに生まれた釈尊(しゃくそん)は、難行苦行のすえ、悟りを開いて膨大な御経を説きました。その中で、最も重要な経典が法華経です。釈尊は、法華経をもって一千年の間、縁ある人々を救われました。

中国の天台大師(てんだいだいし)は、隋(ずい)の煬帝(ようだい)の帰依(きえ)を受け、法華経の注釈書を作り、法華経の修行の仕方「一念三千の観念観法(かんねんかんぽう)」を説き、一千年の間、人々を救いました。

鎌倉時代に日本に生まれた日蓮大聖人は、『竜口の法難』の折、御自身が御本仏であられるという立場を示されました。
その後、全世界の人々を救うため、『三大秘法』(法華本門の本尊と戒壇と題目)を建立されました。この大目的の『本門戒壇の大御本尊』は、現在、日蓮正宗総本山「大石寺」に厳護されています。そのお写しである御本尊は、日蓮正宗の末寺や、御信徒の各家庭にも御安置されています。
この御本尊に向かって「南無妙法蓮華経」と唱えることにより、絶大な御力(仏力・法力)を賜わり、願いを叶え、大きな夢をも実現できるのです。

※日蓮大聖人と本門戒壇の大御本尊、大石寺開創につきましては、 » 日蓮大聖人のご生涯と正法伝持 を御覧ください。

宗旨の三箇(しゅうしのさんか) -三大秘法(さんだいひほう)-

宗旨の三箇とは「本門の本尊」「本門の戒壇」「本門の題目」の三大秘法のことで、宗祖日蓮大聖人が説き顕された独自の教法であり、本宗教義の根本です。
仏教では、仏道修行者が必ず修学しなければならない基本的なものとして戒(かい)・定(じょう)・慧(え)の三学を説いています。この三学の「戒」とは積極的に悪を止(とど)め善を勧めることであり、「定」とは心の散乱を防いで鏡のような澄んだ清浄心(しょうじょうしん)になることであり、「慧」とは煩悩の原因を明らかにし、仏の説かれる心理を体得することをいいます。
大聖人はこの三学と三大秘法の関係について、「戒定慧の三学、寿量品の事(じ)の三大秘法是(これ)なり」(御義口伝 御書一七七三)と仰せになり、仏教中の戒・定・慧の三学は、末法においてはそのまま三大秘法であると説示されています。そして『三大秘法稟承事(ぼんじょうのこと)』に、「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給(たま)ひて候は、此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給へばなり」(御書一五九五)と仰せられ、三大秘法は法華経の根源の法体(ほったい)であることを明かされています。
三大秘法には、本門の本尊に「人(にん)」と「法」、本門の戒壇に「事(じ)」と「義」、本門の題目に「信」と「行」という六義(六大秘宝)の立て分けがあります。これらは個別の存在を示すものではなく、この六大秘宝を合すれば三大秘法となり、三大秘法はさらに一大秘宝に納まります。また、この一大秘宝を開けば三大秘法となり、さらに開けば六大秘宝、またさらには八万四千(はちまんしせん)の法門と開かれることになります。
この一大秘宝の実態は「本門戒壇の大御本尊」であり、一切衆生を成仏に導く根本の本尊となるのです。

『本門の本尊』

本尊には根本尊崇(こんぽんそうんすう)・本有尊形(ほんぬそんぎょう)・本来尊重(ほんらんそんじゅう)という意義があり、この三義がそなわってこそ、万人が信ずるに値する正しい本尊ということができます。大聖人は、「本尊とは勝(すぐ)れたるを用ふべし」(本尊問答抄 御書一二七五)と仰せられ、一切に勝れた本尊を選別することの重要性を説かれています。
末法に出現された日蓮大聖人は、久遠本仏としての御内証を一幅(いっぷく)の大曼荼羅(だいまんだら)本尊として顕されました。この大曼荼羅こそ、あらゆる人々を根本的に救う力用(りきゆう)をそなえる最勝最尊(さいしょうさいそん)の本尊であり、これを「本門の本尊」と称します。この本門の本尊には「人」と「法」の義がそなわっています。
大聖人は、「一念三千の法門をふ(振)りすゝ(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決 御書五二三)と示されているように、御自身の御内証の事(じ)の一念三千の法を顕されたのが、大曼荼羅本尊(人即法)なのです。また、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御義口伝 御書一七七三)とも仰せられるように、久遠の法体を所持される日蓮大聖人の当体こそ本尊(法即人)なのです。これを「人法一箇(にんぽういっか)」とも「人法体一(にんぽうたいいち)」ともいいます。
大聖人は多くの曼荼羅本尊を顕されていますが、なかでも弘安(こうあん)2年10月12日御図顕(ごずけん)の大曼荼羅こそ、まさしく究竟(くきょう)中の究竟であり、大聖人出世の本懐なのです。この本尊を「本門戒壇の大御本尊」と尊称し、総本山大石寺に七百年の間、厳護されています。
この大御本尊には、三大秘法の意義がそなわっており、即身成仏の大利益を享受していくことができるのです。

『本門の戒壇』

本門の戒壇とは、本門の本尊を安置して信心修行するところをいいます。
戒とは防非止悪(ぼうひしあく)「非道を防ぎ悪行を止(とど)める」の意で、戒壇とは仏の教えを信じ行ずる者が戒を受ける場所を指します。戒壇は、時代を追って小乗の戒壇、大乗の戒壇と建立されてきましたが、これらはあくまで釈尊の熟脱(じゅくだつ)仏法における戒壇です。
末法今日においては、大聖人御建立の本門の本尊の安置場所がそのまま戒壇であり、これを「本門の戒壇」と称します。この本門の戒壇には、「事」と「義」の立て分けがあります。「事」の戒壇とは、大聖人の出世の本懐とされる本門戒壇の大御本尊の住処(じゅうしょ)であり、「義」の戒壇とは、その意義が事の戒壇につうじるという意味で、各末寺・各家庭に下付(かふ)された一機一縁(いっきいちえん)の御本尊の所住(しょじゅう)のところをいいます。
さらに大聖人は、この事の戒壇を広布の相に約して、「戒壇とは、王法(おうぼう)仏法に冥(みょう)じ、仏法王法に合して、王臣(おうしん)一同に本門の三大秘の法を持(たも)ちて、有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の及往(むかし)を末法濁悪(じょくあく)の未来に移さん時、(中略)霊山(りょうぜん)浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(三大秘法稟承事「ぼんじょうのこと」 御書一五九五)と、事の戒法の究極的実相について述べられています。その建立の場所となる「最勝の地」については、第二祖日興上人への相承書に、「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(日蓮一期弘法「いちごぐほう」付嘱書 御書一六七五)と、戒壇建立の霊地(れいち)を具体的に定められています。

『本門の題目』

本門の題目とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることをいいます。
この「南無妙法蓮華経」は、法華経各品に冠(かん)せられる妙法蓮華経の経題(きょうだい)とは異なり、寿量品の文底に秘沈された独一本門の本法であるとともに、久遠元初の本仏の宝号(ほうごう)のことです。
大聖人は本門の題目について、「久遠実成の名字の妙法を予行にわたさず、直達正観(じきたつしょうかん)・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(本因妙抄「ほんにんみょうしょう」 御書一六八四)と仰せられ、その題目は御本仏自らが実際に行じられた「事行の題目」であることを示されています。
また本門の題目には「信」と「行」の立て分けがあります。「信」とは本門戒壇の大御本尊を絶対無二と信じ奉ることであり、「行」とはその信心をもって唱題することをいいます。たとえ信ずる心があっても、唱題という実際の行がなければ功徳を成ずることはできず、また、唱題の修行があっても信心がなければ成仏は叶いません。このことを大聖人は、「信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企(くわだ)つるがごとし」(法蓮抄 御書八一四)と誡(いまし)められ、信行具足(ぐそく)の題目でなければならないと教えられています。
さらに大聖人は、「題目とは二意有り。(中略)像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行(じぎょう)の為にして広く化他(けた)の為に説かず。是理行(りぎょう)の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法稟承事「ぼんじょうのこと」 御書一五九四)と仰せのように、釈尊滅後の正法・像法時代の諸師が唱えた題目は、自身のみの行にかぎられた観念観法による理行の題目であると示され、大聖人の唱え出された事行の南無妙法蓮華経こそが、一切衆生を教導し救済する自行化他にわたっての題目であると明かされました。

『日蓮正宗入門・改訂版』より

日蓮大聖人の教えのすべては、血脈相承(けちみゃくそうじょう)によって代々の御法主上人に受け継がれ、今日まで日蓮正宗に脈々と伝えられています。私たちは『本門戒壇の大御本尊』を唯一絶対の対境と尊崇し、信の一念をもって自行化他にわたる本門の題目を唱えていくことが大切なのです。

※日蓮大聖人と本門戒壇の大御本尊、大石寺開創につきましては、 » 日蓮大聖人のご生涯と正法伝持 を御覧ください。